海外が好きで気付いたら3ヵ国に住んでしまったチファニ やまだのプロフィール

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チファニ
はじめまして、「Borderless Traveworker(ボーダレス・トラべワーカー)」を運営している チファニ やまだ です。ご訪問いただき、ありがとうございます。

このページでは、「Borderless Traveworker(ボーダレス・トラべワーカー)」というサイトについてと、運営者のチファニについて紹介しています。

まず、「Borderless Traveworker(ボーダレス・トラべワーカー)」というタイトルについてですが、それぞれの言葉には

  • Borderless=国境のない、境界のない、枠のない
  • Traveworker=「Travel(旅)+Work(仕事)」 する人(勝手に作った複合語)
という意味があります。

私自身が「国境・境界線・自分の枠を超えて、旅をしながら仕事もする人」でありたい、そして今までの私の人生を振り返ると、「Borderless Traveworker(ボーダレス・トラべワーカー)」という言葉が一番ピッタリという理由で選びました。

そんな「Traveworker(トラべワーカー)」を名乗っている私ですが、簡単に経験を説明すると、オーストラリア・カナダ・ニュージーランドへワーキングホリデーで行き、リゾートバイトで日本3都市を働きながら転々としました。

最近また引越しをして、現在は関西のとある山の麓に住み着いて、自分らしく生きています。

日本と海外を行ったり来たりし、日本国内でも縁もゆかりもない場所にポーンと飛んできて、仕事見つけてそのまま住み着いてしまうので、人から見れば「ぶっ飛んでいる」「普通じゃない」ように見えるらしい…。

ですが、人間いつ死ぬかわからないので、「もし1年後命が尽きるとしたらどう生きるか?」を常に意識して生きています。

この「Borderless Traveworker(ボーダレス・トラべワーカー)」を立ち上げたきっかけは、20代後半の心も身体もボロボロだった頃、「人生最後の1年を悔いなく生きて、全財産使い切って楽しんでから人生終わらせよう」と思って渡航したニュージーランドで出会ったシェアハウスのオーナーさん(今は良き友人)の「リズ」からの一言です。

リズ
あなたそんなに面白い人生歩んでいて、人とは違う経験しているなら、ブログ書くべきよ!今すぐ立ち上げましょう、NOW!!!!!

そんな軽い感じで2018年5月に前身ブログが誕生し、2018年9月に「Borderless Traveworker(ボーダレス・トラべワーカー)」として生まれ変わりました。

チファニ
そんな私「チファニ」のプロフィールですが、5分ぐらいで読み終わると思うので、サクッと読んでやってください!

 

生粋の海外好きの学生時代はこんなだった!

私の海外好きが始まったのは、小学生の頃。

4年生か5年生の頃に「ローリン・ヒル」に憧れて、それ以降は音楽も洋楽・映画も洋画、海外の景色を雑誌で眺めたり、旅行のパンフレットを切り抜てコラージュを作っていました。

中学・高校生あたりから「日本の学校が合わない」と思うようになり、次第に学校に行く回数も減っていきます。

一応、周囲と歩調を合わせて単位ギリギリでも進級・卒業できる程度に授業に出席はしていたのですが、周りの目や評価・周りが自分をどう思っているかを気にしていました。

攻撃されてもダメージを最小限にとどめられるよう、自分の感情を周囲の人に察知されないように生きる日々が2年も続くと、精神的におかしくなり体調にも支障をきたします。

ということで、高校2年生にして精神科デビューしました。

チファニ
今でも、学生の頃の思い出話や「あの頃はよかった~」という話を聞くと吐き気がするくらい「日本の学校」というものが嫌いです。

当時は、抑鬱と不眠症と度重なる胃腸炎と戦いながら生きていたのですが、それでも海外留学にだけは興味深々。

ですが、そんな状況だったので、当然のことながら親からは海外行きを反対されます。

私の出身地は、山に囲まれた東北の田舎。

周りに英語を使う仕事をしている大人がいない場所で育ったので、当時の私は

「なんで海外行きたいの?」
「海外に行ってどうするの?」
「帰ってきたらどうするの?」
「英語ができるようになってどうするの?」

という親からの質問に明確な答えなんかなく、何も言い返せない…。

それ以降は、一旦海外への思いを封印し「日本で無難に生きていこう」と思い、とりあえず手に職をつけるために専門学校に通います。

が、その専門学校の海外研修で初めてアメリカを訪れてから、それまで押さえつけていた海外への思いが大爆発し、海外に行きたい欲が止まらなくなりました。

チファニ
その爆発力のお陰で、決まっていた就職の内定を辞退し、自ら日本社会のレールを外れることになるのです。もちろん、進路指導の先生からはお叱りを受けました(笑)

でも、その出来事が自分の中では1つのターニングポイント。

それまでは、周囲と同じように就職して、やりたくないことを我慢しながら何十年も続け、いつか結婚して子供を産んで、子育てに追われている間に時間だけが過ぎて行くのが人生なのかな?と思っていましたが、いい意味で先が見えなくなりました。

ということで、目標ができた私は、一旦「お金を貯めるだけの仕事」をするために社会人になったのです。

 

オーストラリアに行く前の東日本大震災

オーストラリアに行く前、東日本大震災が起こりました。

当時、震災関係の仕事に携わることがあったのですが、家や車が流された人・家族が行方不明な人と関わる中で、言葉が出ない場面に何度も遭遇しました。

家と旦那さんを失い、子供を3人抱えたお母さん。

家族全員行方不明で、一人で避難所にいるおばあちゃん。

「自分が彼女たちの立場だったらどうするか?」という問いに答えが見つからなかったのは生まれて初めての経験で、今でもその答えに辿り着いておらず、これから先も一生見つかることはないのかもしれません。

大事な人も家も仕事も時間も、いつ・どのようにして失われるかわからない。

その頃から物事を決断するときは、「今、目の前にあることを経験してから死ぬか?経験せずに死ぬか?」を判断基準にするようになりました。

 

オーストラリア・ワーホリ

「日本と海外を繋ぐ仕事をしたいから、日本人留学生をサポートするために、語学学校で働きたい!」という無謀な目標を掲げ上陸したオーストラリア。

英語力は中学英語レベルな上に、四大卒という学歴がない私がどこまでできるか?というチャレンジでもありました。

「ただのワーホリなのに、そこまでできるわけないじゃん!」と思った人の方が多いと思うのですが、この目標を立てたのには理由があります。

20代前半の小娘が田舎で仕事をしていて、「海外に行くためにお金を貯めています」と言うと、海外に出ることを信じてもらえなかったり、嫌味を言われたり、海外に行ったこともない人に的外れなアドバイスをされたりします。

さらに、「親のお金で遊びに行けていいわね~」と言われたことから、親と同じ世代の田舎のおばちゃんの海外に対するイメージってそんなもんなのか…と虚しい気持ちになりました。

それなのに、海外に出たこともないから無駄に海外に対するハードルも高く、「海外の日本食レストランで働いてきた」なんて言ったらバカにされること間違いなし(日本食レストランで働くのだって結構大変なのに…)。

そんな背景もあり、「絶対に日本に帰ってきてもバカにされない仕事してやる!」と思って行動したら、最後の最後でまさかの語学学校の日本担当マーケター就任という奇跡が待っていました。(日本人カウンセラーという言い方のほうがわかりやすいかもしれません)。

sydneycbd

【海外ではたらく】語学学校日本人スタッフ(カウンセラー)という営業の仕事を紹介するよ

2020-03-28

私は大卒の学歴もない就活失敗組、職歴も華やかじゃないし、英語力も「マーケターとしては最低ラインぎりぎりのレベル」と言われましたが、チャンスをくれた一人の上司(日本人女性)に巡り合えたのです。

どんなにやる気があっても、現地での仕事探しは簡単ではないし、ただのワーホリメーカーがオフィスでの仕事を見つけることなんてかなり難しい。

語学学校のマーケターの仕事は、1ヶ月で円形脱毛症ができるくらい大変でしたが、この時初めて「人がチャンスを運んでくる」ということを学びましたし、こんな自分でも認めてくれる人がいるんだ!ということ実感しました。

チファニ
その時の経験は、以下の2つの記事にまとめています。
cloverybeach

海外インターンの目的は超大事!倍率30倍の面接を突破できた4つの要素

2018-11-14
sydneycbd

就活失敗した学歴なし元フリーターが海外現地企業で働けた6つの理由

2018-11-11

海外でいろんな国籍の人たちと一緒に働いたら、仕事を理由に自分を犠牲にすることが日本独特の考え方なんだということがわかりました。

できないことはできないし、無理なものは無理。

普通に考えれば当たり前でシンプルなことですが、日本の社会で生きていて「無理です」と言ったら終わってしまいそうな感覚、確かに持ってました。

そしてもう一つ、働いている人の人種も人生のステージも違うので、「働くことに対して周囲と同じような考えである必要はない」ということを学びます。

そして、考えが違うからといって、変な目で見られることもない。

「みんな病気になりながら働いているんだからお前も同じように頑張れ」と言われることも同調圧力もなく、みんな違っていて当たり前の空気感が心地いい。

いろんな働き方があって、人生の幸せや喜びの部分にフォーカスした生き方を目の前で見せつけられたら、心が惹かれて当然です。

本当に、海外の人たちの働き方って人間らしくて好きです。

ダーリングハーバー

海外3ヵ国で働いて驚いた日本と海外の働き方の違い/仕事に対する考え方の違い

2019-09-29

そして私は、人生を変えたオーストラリアでの経験をきっかけに、もっともっと海外のことを知りたくなったので、今度は海外就職に挑戦してみることにしました!

 

マレーシア就職挑戦→失敗

オーストラリアから帰国後、マレーシア就職にチャレンジして失敗しています。

ショック

やっぱり学歴が大事なのか!?マレーシア就職で日系企業にスカウトされたのに見送りになった落とし穴とは?

2019-04-11

マレーシアって、海外就職しやすい国として有名ですが、私にはご縁がなかった…。

東京で開催された「マレーシア現地採用面接」に落ちた時点で、「よし、カナダに行こう!」と思い方向転換することになります。

 

カナダ・ワーホリ

海外に長期的に住みたかったので、本格的に永住権を取るための挑戦をしようと思って選んだ場所がカナダ。

弁護士さんとコンサルティングをして、総合的に見て一番実現の可能性がある都市を出してもらったのですが、その場所が憧れの「バンクーバー」だったのです。

が、しかし…入国2ヶ月前に法律が変わりポイント制になったことで、永住権の夢が遥か遠くになりました…。

それでも一応ビザはあるので、仕事探しに奔走します。

なんとか、履歴書を配り歩いた語学学校の一つから「日本語教師として働かない?」とオファーがあり、仕事を手に入れることはできましたが、金銭的にかなり厳しい生活が待っていたのです。

チファニ
仕事を掛け持ちしても、毎月850ドルぐらいの収入でしたからね。

資格なしでもできる!海外の日本語教師の仕事事情【給料や探し方も公開】

2020-04-12
イヌクシュク

【カナダ】バンクーバーでワーキングホリデー中お金が稼げず生活苦だった原因

2019-02-03

実は、日本語教師の他に仕事のオファーをいただいた会社があったのですが、とても大きな挫折を経験し自ら手放しておりますハイ…(そのときのことは記事にするつもりはありませんので、私にどこかで会ったら聞いてみてください)。

で、カナダからの撤退を決めた直後、ふとこんなアイディアがよぎりました。

チファニ
あ、私まだニュージーランドに行ってないじゃん!ここまで来たら2ヵ国も3ヵ国も一緒だ!行ってしまえ!

そんな超単純な理由から、ニュージーランド行きを決意したのです!

でも、本気でカナダに永住するつもりだったので、日本円を全部カナダドルに替えていて、帰国する時にはほとんど残っていなかったし、地元に帰っても給料のいい仕事なんてない…。

どうやってニュージーランド・ワーホリの資金を作ればいいんだろう?

そんな風に思っていたところで、友達からこんなお誘いがありました。

お友達
ねぇチファニ、手っ取り早くお金貯めたいなら、リゾバやってみたら?

 

リゾバでお金貯めながら日本国内を転々とする

考えてみれば、私が初めて地元を飛び出して行きついた場所はオーストラリアで、地元以外の日本を知らない…。

でも、せっかくニュージーランドに渡航するまでに1年あるんだから、日本も経験してみよう!

ということで、私の1年間のリゾバ生活が始まりましたが、過酷な職場環境のせいか、最初のリゾートホテルで自律神経失調症になるという最悪のスタート…。

そして、2ヵ所目の旅館で椎間板ヘルニアが発症するという負の連鎖…。

完全に人生の大殺界&サターンリターンだったのではないかと思っています。

3ヵ所目のホテルでは、自律神経失調症+椎間板ヘルニアの状態で、コルセット巻きながら朝7時~夜10時までの拘束時間で働いたので、1年でニュージーランド行きの資金を貯めることができましたが、その頃にはもう海外で頑張る気力なんか残っていませんでした。

 

「人生最後の1年」と思っていたニュージーランド

このページの冒頭でもお話ししましたが、ニュージーランドに到着したころには、心も身体もボロボロ。

私が海外に憧れていたのは、身近にある自然と海外のカラフルな街並みを楽しみながら、心に余裕のあるのんびりした生活を送りたいという理由なのに、「あれ、なんでいつも必死だったんだろう?」と気づいたのです。

確かに、オーストラリアでもカナダでも、新しい経験・日本では絶対にできない経験をさせていただいたし、たくさんの人に出会わせていただいたので感謝しかない!

本気で頑張ることが楽しかった時期もあったし、この2ヵ国の経験がなければ今の私はないのは事実。

でも、ただひたすら奔走するばかりで、せっかく海外にいるのに、私が本当にしたかった生活が実現できていない…。

それが虚しくて、ニュージーランドでは頑張りたくなくなりました。

そんな状態の時に出会った人が、シェアハウスのオーナーのリズさんで、「今ブログ立ち上げなさい、NOW!」という一言で、前身ブログが誕生したわけです。

チファニ
あ、ちなみに、ニュージーランドでは優しい人たちに恵まれ・美しい自然とのんびりとした雰囲気に癒されたので、無事回復を遂げています。

あ、一応ニュージーランドでも仕事は経験していて、リラクゼーション・スパの受付をしておりました。

Wellington

ニュージーランドでの受付の仕事7ヵ月で貯金1万ドル+健康的な生活ができた話

2020-04-26

 

3ヵ国経験したら、インターナショナルスクールで働けた

私は海外が好きなので、海外に全く興味のない人からすれば「海外かぶれ」のレッテルを貼られてもおかしくありません。

でも、日本が嫌いなわけではないし、海外だけに偏る人生にもしたくはない。常にどちらにも触れていたい人間です。

日本人を徹底的に避けて、日本語を徹底的に排除して…という、海外のものだけに偏るストイックな生活を続けるほど精神図太くありませんが、日本人・日本語・日本の文化だけに囲まれるのも息苦しいしつまらない…

結局「ちょうどいい距離感」が大事なんですよね!

それを確かめるために、日本にあるインターナショナルスクールで働いてみました。

私が働いたインターナショナルスクールは、変なところが日本で、変なところが海外という特殊な環境。

  • オフィス内でビーサン履いてOK
  • オフィスで朝食OK
  • ジーンズOK
  • 髪の毛が虹色でもOK

オーストラリアに出る前の私からすると、将来の自分が海外3ヵ国の現地の会社で働き、日本の外資系ホテルやインターナショナルスクールで働くなんて予想できませんでした。

チファニ
でも、もう十分、日本と海外で英語を使って働いてきたので、今現在は、本当の自分らしく生きることでどこまでできるか?に挑戦しています。