
このページでは、「Borderless Traveworker」というサイトについてと、運営者のチファニーについて紹介しています。
まず、「Borderless Traveworker」というタイトルについてですが、それぞれの言葉には
- Borderless=国境のない、境界のない
- Traveworker=「Travel +Work」 する人(勝手に作った複合語)
私自身が「国境も、自分の境界線や枠も超えて、旅をしながら仕事もする人」でありたい、そして今までの私の人生を振り返ると、「Borderless Traveworker」という言葉が一番ピッタリという理由で選んだタイトルです。
そんな「Traveworker」を名乗っている私ですが、簡単に経験を説明すると、オーストラリア・カナダ・ニュージーランドへワーキングホリデーで行き、リゾートバイトで日本3都市を働きながら転々としました。
「学歴がなく、海外ともご縁のない田舎出身の私が、海外の現地の会社で経験を積んだらどうなるんだろう?日本で何ができるだろう?」という人生の実験もしているのですが、現在はインターナショナルスクールで楽しく仕事をさせていただいています。
3ヵ国での経験を終えた今、私の中で芽生えた感覚が
- 心がワクワクする楽しそうな場所や仕事があったら飛んで行く!
- 日本に住んでいるとか海外に住んでいるとか関係なく、雇用形態・肩書きも関係なく、自分が勝手に作った枠にもとらわれず生きていきたい!
- 自分と同じように考えている人や、もっと自由な人たちとも繋がりたい!
そんな願いから、このサイト「Borderless Traveworker」を立ち上げました。
海外3ヵ国4都市、日本でも現在4都市目。それだけ飛び回ったので、同じように海外経験のある同僚ですら「ぶっ飛んでる」と言い、イギリス人上司からも「普通じゃない」と認定を受けるほど、フットワークの軽さと行動力には自信があります(笑)

生粋の海外好きの学生時代はこんなだった!
私の海外好きが始まったのは、小学生の頃。
4年生か5年生の頃に「ローリン・ヒル」に憧れて、それ以降は音楽も洋楽・映画も洋画、海外の景色を雑誌で眺めたり、旅行のパンフレットを切り抜てコラージュを作っていました。
中学・高校生あたりから「日本の学校合わないな~」と思うようになり、次第に学校に行く回数も減っていきます。
一応周囲と歩調を合わせて学齢通りに進んで行けるよう、単位ギリギリでも進級・卒業できる程度に授業に出席はしていたのですが、周りの目や評価・周りが自分をどう思っているかを気にして、攻撃されてもダメージを最小限にとどめられるよう、自分の感情を周囲の人に察知されないように生きる日々が2年も続くと、精神的におかしくなり体調にも支障をきたします。
ということで、高校2年生にして精神科デビューしました。

当時は、抑鬱と不眠症と度重なる胃腸炎と戦いながら生きていたのですが、それでも海外留学にだけは興味深々。
ですが、そんな状況だったので、当然のことながら親からは海外行きを反対されます。
私の出身地は、山に囲まれた東北の田舎。
周りに英語を使う仕事をしている大人がいない場所で育ったので、当時の私は
「なんで海外行きたいの?」
「海外に行ってどうするの?」
「帰ってきたらどうするの?」
「英語ができるようになってどうするの?」
という親からの質問に明確な答えなんかなく、何も言い返せない…。
それ以降は、一旦海外への思いを封印し「日本で無難に生きていこう」と思い、とりあえず手に職をつけるために専門学校に通います。
が、その専門学校の海外研修で初めてアメリカを訪れてから、それまで押さえつけていた「海外への思い」が大爆発し、海外に行きたい欲が止まらなくなりました。

でも、その出来事が自分の中では1つのターニングポイント。
それまでは、みんなと同じように就職して、やりたくないことを我慢しながら淡々とこなし、沈んだ気持ちのまま生きていき、いつか結婚して子供を産んで、子育てに追われ知らない間に時間だけが過ぎて行くのが人生なのかな?と思っていましたが、いい意味で先が見えなくなりました!(笑)
先が見えなくなったお陰で、「日本と海外を繋ぐ仕事をしたい」という、漠然としてはいるけど(自分的には)キラキラした人生の目標みたいなものができたので結果オーライ。
ということで、目標ができた私は、一旦「お金を貯めるだけの仕事」をするために社会人になったのです。
ワーホリに行く前のリーマンショックと東日本大震災
ワーホリに行く前、リーマンショックの影響で仕事を失い、東日本大震災が起こりました。
当時、震災関係の仕事に携わることがあったのですが、家や車が流された人・家族が行方不明な人と関わる中で、言葉を返せない場面に何度も遭遇しました。
そして、「自分だったらどうするか?」という問いに答えが見つからない状況が目の前にあったのを覚えています。
人も財産も仕事も時間も、いつ・どのようにして失われるかわからない。
その頃から物事を決断するときは、「経験してから死ぬか?経験せずに死ぬか?」を基準にするようになりました。
震災が起こる前まで、私の海外に行きたいという思いを大爆発させるきっかけとなった「アメリカ」に行くか、物価もアメリカより安くて治安もいい「カナダ」に行くかで迷っていたのですが、地震も原発もない場所で、長期的に日本から離れ安心して暮らせる場所として「オーストラリア」という行き先が浮上したのです。
そして、この行き先変更の決断が、私の人生をまた大きく変えます。
オーストラリア・ワーホリ
「日本と海外を繋ぐ仕事なら、語学学校で働きたい!」という、世間(海外)知らずで無謀な目標を掲げ上陸したオーストラリア。
英語中級レベルで学歴がない私がどこまでできるか?というチャレンジでもありました。
「ただのワーホリなのに、そこまでできるわけないじゃん!」と言う人の方が多いと思うのですが、この目標を立てたのには理由があります。
20代前半の小娘が田舎で仕事をしていて、「海外に行くためにお金貯めています」と言うと、海外に出ることを信じてもらえなかったり、嫌味を言われたり、海外に行ったこともない人に上から目線で見当ちがいなアドバイスをされたりします。
さらに、「親のお金で遊びに行けていいよね~」と言われたことから、親と同じ世代の田舎のおばちゃんの海外に対するイメージってそんなもんなのか…と分かります。
それなのに、海外に出たこともないから無駄に海外に対するハードルも高く、「海外の日本食レストランで働いてきた」なんて言ったら、バカにされること間違いなし(日本食レストランで働くのだって結構大変なのに…)。
そんな背景もあり、「絶対に日本に帰ってきてもバカにされない仕事してやる!」と思って行動したら、最後の最後でまさかの語学学校の日本担当マーケター就任という奇跡が待っていました。
私は学歴なしの就活失敗組、職歴も華やかじゃないし、英語力も「マーケターとしては最低ラインぎりぎりのレベル」って言われましたが、気にかけてくれる一人の上司に巡り合えたのです。
※オーストラリアの現地語学学校で働くまでの道のりについてはこちらの記事で↓
やる気はあっても現地での仕事探しは簡単ではないし、ただのワーホリの人がちゃんとした仕事を見つけるのなんてかなり厳しい!!
でも、この時初めて「人がチャンスを運んでくる」ということを学びましたし、スペックが低い自分でも認めてくれる人はどこかしらに必ずいる!ということを本当の意味で知りました。

また、海外でいろんな国の人たちと一緒に働くと、仕事を理由に自分を犠牲にすることが日本独特の考え方なんだということがわかります。
できないことはできないし、無理なものは無理。
普通に考えれば当たり前でシンプルなことですが、日本の社会で生きてきたらその感覚が麻痺してしまったんですね。「無理です」と言ったら終わってしまいそうな感覚、確かに持ってました。
そしてもう一つ、働いている人の人種も人生のステージも違うので、「働くことに対して周囲と同じような考えである必要はない」ということを学びます。
そして、考えが違うからと言って浮くこともない。
「みんな病気になりながら働いているんだから、お前も同じようにしろ」と言われたり、日本の職場のような同調圧力もなく、みんな違っていて当たり前の空気が心地いい。
いろんな働き方があって、人生の幸せや喜びの部分にフォーカスした生き方をしている。

そんな、私の人生を変えたオーストラリアでの経験をきっかけに、もっともっと海外のことを知りたくなったので、今度は海外就職に挑戦してみることにしました!
マレーシア就職挑戦→失敗
オーストラリアから帰国後、実はマレーシア就職にチャレンジして失敗しています。
「年齢が若く、学歴が大卒じゃないので、うちの会社ではビザが出せない」という理由で、スカウトされた会社から落とされました(笑)
私は、「学校が嫌いなのに学歴コンプレックス」という矛盾した奴なのですが、この出来事をきっかけに学歴コンプレックスに拍車がかかります!
そして、最後の望みだった東京でのマレーシア現地採用面接に落ちた時点で、「よし、カナダに行こう!」と思い立って方向転換することになりました。
カナダ・ワーホリ
海外に長期的に住みたかったので、本格的に永住権を取るための挑戦をしようと思って選んだ場所がカナダ。
弁護士さんとコンサルティングをして、総合的に見て一番実現の可能性がある都市を出してもらい、その場所が憧れの「バンクーバー」だったのですが…入国2ヶ月前に法律が変わり、かなり条件が厳しくなってしまいました(泣)
さらに、履歴書を配った語学学校から「日本語教師として働かない?」とオファーがあり、なんとか仕事はゲットできましたが、金銭的にはかなり厳しい生活が待っていたのです。
それ以上に、憧れていた都市で「海外の洗礼」というものを浴びて精神的にかなりのダメージが…ということで、大挫折して日本に一旦撤退することになりました。

カナダからの撤退を決めた直後、ふとこんなアイディアがよぎりました。
「あ、私まだニュージーランドに行ってないじゃん!ここまで来たら2ヵ国も3ヵ国も一緒だ!行ってしまえ!」
そんな超単純な理由から、ニュージーランド行きを決意したのです!
でも、本気でカナダ永住するつもりだったので日本円を全部カナダドルに替え、帰国する時にはカナダドルが安くなっていて日本円に戻すのも気が引ける…地元に帰っても給料のいい仕事なんてない…どうやって日本円でワーホリ資金作ろう?
そんな風に思っていたところで、友達からこんなお誘いがありました。
「ねぇチファニー、手っ取り早くお金貯めたいなら、リゾバやってみたら?」
リゾバでお金貯めながら日本国内を転々とする
考えてみれば、私が初めて地元を飛び出して行きついたのはオーストラリアで、地元以外の日本を知らない…

ということで、私の1年間のリゾバ生活が始まります。
でも、カナダでの精神的苦痛が尾を引いたのか、当時の過酷な職場環境や住環境のせいか、最初のリゾートホテルで自律神経失調症になるという最悪のスタート…。
そして、2ヵ所目の旅館で椎間板ヘルニアが発症するという負の連鎖…。
完全に人生の大殺界&サターンリターンだったのではないかと思っています。
それでも1年間でニュージーランド行きの資金を貯めることができ、無事出国できましたが、その頃にはもう海外で頑張る気力なんか残っていませんでした(笑)
念願のニュージーランド
カナダでの生活と1年のリゾバ生活で疲れたので、「ニュージーランドでは絶対頑張らない!普通の生活がしたい!人生の休息が必要!」と思い、手を抜きながら人生を楽しもうと目標を掲げました。
仕事もそんなに業務内容が難しくない「スパ受付」の仕事を選んだのですが…
小さい会社だったので、受付の人が「運営・マネジメント・セールス」なども全部やるという、私の思惑とは真逆の経験をさせられました(笑)

それでも、「コーヒー片手に海を見ながらアクティブウェアで出勤、有給休暇で国内旅行!」という、私の理想の生活を手に入れられたので大満足!!
「日が昇ったら働いて、日が沈んだら帰宅する」という普通の仕事&生活により、精神大復活できたのです。
ニュージーランドは最低時給もそこそこ高くて、英語ができない日本人を違法な賃金で雇う企業も少ないので、海外初心者や人生に疲れた人・日本社会で心がすり減ってしまった人が1年休む場所としては最高なんじゃないかと思います。
私自身、ニュージーランドで出会った優しい人たち・美しい自然・のんびりとした雰囲気に癒されたので、ニュージーランドには感謝しかありません。
そして、実はこのサイト「Borderless Traveworker」ですが、前身サイトがニュージーランドで誕生しているんですよね!
つまり、このサイトを立ち上げるきっかけも、ニュージーランドにあったという訳です。
3ヵ国経験したら、インターナショナルスクールで働けることになった
私は海外好きなので、海外に全く興味のない人からすれば「海外かぶれ」のレッテルを貼られてもおかしくありません。
でも、日本が嫌いなわけではないし海外だけに偏る人生にもしたくはない。常にどちらにも触れていたい人間です。
日本人を徹底的に避けて、日本語を徹底的に排除して…という、海外の現地のものだけに偏るストイックな生活を年単位でできるほど精神図太くありませんが、日本人・日本語・日本の文化だけに囲まれるのも息苦しいしつまらない…
結局「ちょうどいい距離感」が大事なんですよね!
「海外から帰ってきて仕事がないかも…」と心配になる人もいるかもしれませんが、今私はインターナショナルスクールで、英語と日本語両方を使ってフルタイムの仕事をしています。

海外でよくある
- ビーサン履いて仕事ができる(外部の人に会う時はもちろんパンプスに履き替えますが…)
- オフィスで朝食
- 定時でさっさと帰れる
- 休みが取りやすい
という環境を、日本で見つけることができています。
大事なのは「どこに住むか?」ではなく「どんな環境に身を置いて何をするか?」ということですね!
自分の枠、超えて生きていきたい
これまでの私の経験から証明できることと言えば、自分の頭の中で無理だと考えていたことも、案外覆されるということ。
「日本ではできても海外では難しい」「海外ではできても日本ではできない」「学歴ないと無理」と思っていたことも、全部クリアしています。
会社員・パート・アルバイト・派遣・フリーター・ニート・フリーランス・ノマドワーカー。肩書きはどうでもいいので、面白そうな国・仕事があったら国内外問わずどこにでも飛んで行く!!
それが人生のモットーであり、今現在の私にとってのBorderlessに生きることの意味です。